今日も、英語で御書を読んでいこうと思います。
本日の御書は、「椎地四郎殿御書」の1文です。
原文
法師品には、若是善男子善女人乃至則如来使と説かせ給いて、僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり。
椎地四郎殿御書
貴辺すでに俗なり、善男子の人なるべし。
此の経を一文一句なりとも聴聞して、神にそめん人は、生死の大海を渡るべき船なるべし。
法華経法師品第10には、
「もしこの善男子・善女人は、(私釈尊が滅度した後、ひそかに一人のためであっても、法華経の一句なりとも説くなら、まさに知りなさい)この人は、すなわち如来の使いである」
と説かれており、
僧も俗も尼も女も、法華経を一句でも人に語る人は、如来の使いであるというのです。
今、あなたは俗であり、ここに説かれる善男子にあたる人です。
この法華経の一文一句でも聴聞して心に染める人は、生死の大海を渡ることができる船のようなものです。
英文
A passage from the “Teacher of the Law” chapter reads:
“If one of these good men or good women [in the time after I have passed into extinction is able to secretly expound the Lotus Sutra to one person, even one phrase of it, then you should know that] he or she is the envoy of the Thus Come One.”This means that anyone who teaches others even a single phrase of the Lotus Sutra is the envoy of the Thus Come One, whether that person be priest or layman, nun or laywoman.
You are already a lay practitioner and therefore one of the “good men” described in the sutra.
One who listens to even a sentence or phrase of the sutra and cherishes it deep in one’s heart may be likened to a ship that crosses the sea of the sufferings of birth and death.
A Ship to Cross the Sea of Suffering
“passage” には、「通り道や「通行」という意味合いの他にも、「一節」や「一句」という意味もあり、
今回は、こちらの意味で使われています。
“Teacher of the Law” は、「法師品」の訳ですね!
“extinction” は、「消滅」や「絶滅」という意味があり、
“pass into extinction” で、「亡くなる」ことを表現しています。
“expound” は、「説明する」や「解説する」などの意味合いがある動詞で、
“secretly expound” で、「密かに説明する」という意味合いになります。
“envoy” には、「大使」や「使者」の意味があります。
“the Thus Come One” は、「如来」の訳ですね!
“the envoy of the Thus Come One” で、原文の「如来の使」を表現していることが分かります。
“layman” と “laywoman” には、「素人」や一般の人」や「平信徒」という意味合いがあります。
現代っぽく言うと、”layperson” の方が適切かもしれませんね!
“nun” は、「尼」や「修道女」という意味です。
ちなみに、対義語は、”priest” というよりも、より男性を表す “monk” になります。
“lay” には、「素人」や「専門家ではない」や「平信徒の」という意味があります。
“practitioner” には、「士業者」という意味合いがありますが、
「実践家」という意味合いもあり、今回はこちらの意味合いで使われています。
“cherish” には、「(信仰) を持ち続ける」という意味があります。
“liken A to B” で、「AをBにたとえる」とう意味になります。